2/1(土)より公開されている映画『僕は友達が少ない』を見てきました。最近はめっきりアニメや映画等の感想は書かなかったのですが、この作品に関しては自分が見た映画でベストテンに入るくらい面白かったので、この素晴らしさを少しでも広めたいと思い、簡単にですが感想を書きます。
「僕は友達が少ない」について
ご存じの方も多いかと思いますが、この作品の原作はライトノベル(MF文庫J)です。2011年10月にアニメ化、2013年1月からはアニメの2期目が放送され、原作も2011年で最も売れたライトノベルになるなど非常に知名度・人気の高い作品です。今作では原作のライトノベルはあくまでも"原案"という形になり、下記のストーリーの流れでも述べますが物語の基本的な構造や登場人物(キャラクター)の破天荒で痛快な描写はそのままに、でも映画独自の解釈や構成もあるもう一つの『僕は友達が少ない』としての一面を持っています。
○物語序盤の展開は、原作(及びアニメ)と基本的に同じです。金髪(ハーフ)で目つきが悪い外見から友達ができずいつもひとりで過ごしていた主人公「羽瀬川小鷹(瀬戸康史)」が同じく友だちがいなく"エア友達"と会話をするという風変わりな美少女「三日月夜空(北乃きい)」と知り合い、友だち作りのための部活動「隣人部」に入部させられ、そこに「柏崎星奈(大谷澪)」、「楠幸村(高月彩良)」、「志熊理科(神定まお)」が集まり活気付いていく様子が描かれます。
○夜空がエア友達と会話する場面や星奈を「肉」とあだ名を付け胸を揉む、理科が変態的言動を繰り返すなど実写キャストの演技で表すのはきついのではと思われた描写もほぼ忠実に再現されています。その点では原作の再現度は高く、かといってそれ程不自然でもなくドラマに面白みを与えています。
ただし、キャラクターの設定や表現方法が原作と異なっている点もあります。
・「同性(女子)からは疎まれている」星奈ですが、原作では"疎まれている"という直接的な描写があまりないのに対し映画では陰湿ないじめに近い事をされている描写があります。 ・星奈の父親「天馬(石原良純)」(下記の画像左側)は原作で見られた気の良い一面は描写されず非常に厳格な父親の印象です。また、彼は家令(「ステラ」)と家の中で堂々と不倫をしていて、"濡れ場"もあり。しかも星奈が扉越しにその行為を見てしまうというショッキングな展開があります。 星奈に関しては上記2点の境遇から彼女の悩みが相当深刻なものであることを伺わせ、ストーリー後半における彼女の立ち位置の決め手にもなっています。 ・「いじめを受けている」幸村、原作ではいじめは本人の勘違いですが映画では「本当に」いじめられています。星奈のと同様立派ないじめでこちらも陰湿なものです。 ・隣人部を快く思っていない生徒会長「西園寺(栗原類)」(画像右側)は映画のオリジナルキャラクター。物語後半では重要な役割を果たします。
○本映画では原作のように、隣人部の個性的なキャラクターによる楽しい日常が展開されますが上記のようなシリアスなシーンもあり、「友達ができないのも含め、登場人物達がそれぞれ抱えている年相応の葛藤」が原作以上に伝わってきます。また小鷹と夜空が「幼い頃友達同士だった」という回想も原作と同様にあり、これが物語に大きく関わるのも同じです。
○「隣人部のみんなでカラオケに行く」シーンは、日常の(ギャグ寄りの)ワンシーンであった原作と趣向が違い「隣人部全員一つの個室で普通にみんなでカラオケをする」、そして「念願の"リア充が行うみんカラ(みんなでカラオケ)"が出来たことに感激し夜空と星奈は思わず涙を流す」、非常に印象的で重要なシーンです。なお、この時に夜空が歌うのは劇場版「タッチ」の主題歌であった「背番号のないエース」。
○物語後半の「バーチャルの世界が楽しめるゲームをし、ゲームに引きこもってしまった星奈を助け出す」というのは映画独自のストーリー。話だけ聞くと突拍子もない展開のように聞こえますが、この「理想(バーチャル)の世界と現実で葛藤する」というのがこの作品のテーマ自体に繋がっていくので、原作の主旨とはブレていないと思います。
○後半の展開において、「主人公小鷹の葛藤」、「隣人部メンバーそれぞれの思い」、そして最後「夜空を助け出すために奮闘する小鷹」、熱い展開で感動的です。
以下反転:
○最後は元通り日常を取り戻し、一見何事もなかった(変わらなかった)ように終わりますが、アニメ1期最終話のよう投げっぱなしではなく「小鷹と夜空、それぞれ"何か"が変わった」と余韻を残した終わり方をします。最後小鷹が呟く「僕は友達が"少ない"」というのも意味の深いキーワードです。
「バーチャルの世界に引きこもる星奈」という前提で話は進みますが、実はバーチャルの世界に居続けることを望んでいたのは「夜空」であり、彼女は友達がいない現実、そしてかつての友達「タカ(=小鷹)」が自分の事を忘れている現実を拒否し理想の世界に居続けたい思いが暴走します。小鷹も「友達が出来ないのは"見た目だけで自分を避ける"周りが悪い」となんでも他人のせいにしていたことに気付かされ、それを乗り越え夜空とのかつての約束を果たすべく彼女を現実に連れ戻すという展開は、オリジナルといえど原作でのキャラクターの心情をうまく脚色していると思います。 |
○最後は元通り日常を取り戻し、一見何事もなかった(変わらなかった)ように終わりますが、アニメ1期最終話のよう投げっぱなしではなく「小鷹と夜空、それぞれ"何か"が変わった」と余韻を残した終わり方をします。最後小鷹が呟く「僕は友達が"少ない"」というのも意味の深いキーワードです。
以下反転:
以前は西園寺に嫌味を言われ隣人部が廃部に追い込まれても何も言わなかった小鷹、しかし一連の事件の後は西園寺に対し反抗心を見せ、夜空はさらに隣人部を侮辱した西園寺を「殴る」という積極的な行動を見せます。物語はここで終わりますが、自分としては「"変わった"小鷹と夜空であれば、星奈や幸村の件もきっと良い方に解決していける力が付いている」ことを暗に示していると取れました。 |
感想
簡潔にまとめると「ライトノベル特有な破天荒な設定、キャラを実写という現実的な表現方法でうまく表されている」、「非リア充な設定もアニメで見たような嫌味な印象はなく現実問題として訴えたいことがストレートに伝わってくる」。そして一番大きいポイントは「友達がいない小鷹と夜空が問題と向き合い、葛藤、成長する様子が描かれている」ところです。言ってしまうと単に"残念な"性格のキャラクター達の楽しい日常を描くことに主観が置かれていた原作に、この映画は明確なテーマを位置づけ登場人物達の心情を描く「青春ストーリー」になっていると思います。
一方で「キャラクターの可愛さがメイン」とも言われる原作を実写で表現する事に違和感を覚えるのも事実ですが、自分はそれほどは気にならず逆に原作の雰囲気に近づけようとこだわりを持ってキャラ作りをしているように思えました。
これら詳細はパンフレット等にも記載されています。また物語冒頭の「隣人部のポスター」は原作・アニメと瓜二つな程忠実に再現されています。アニメに出演した声優陣からも再現度の高さを称賛するコメントが出ています。
これら詳細はパンフレット等にも記載されています。また物語冒頭の「隣人部のポスター」は原作・アニメと瓜二つな程忠実に再現されています。アニメに出演した声優陣からも再現度の高さを称賛するコメントが出ています。
ここまで原作の持ち味、裏に隠されている(と思われる)テーマをうまく取り入れ、合わせあった一つの映画を作っているのは見事でした。後述するよう本作は批判が集中し、公開後も現時点では観客動員数・興行成績が振るわず収益や評価は厳しいものになっていますが、一つの青春映画として秀作な作品です。毛嫌いをせず試しに原作・アニメファンの方も、一般層の方にもおすすめできる映画だと、自分は思っています。
・正式発表前の(ツイッター上で映画エキストラを募集してたことによる)噂の時点で非難が殺到、制作中止を求める署名活動的な事も一部で起こり後に原作者がコメントをする事態に。
・その後もキャストの発表等情報が更新されていく度にネット上では誹謗中傷のコメントが乱稿するなど炎上に近い状況になり、それは映画公開された後も続いており、たぶんネット上で見かける本作の感想・意見は批判のものがほとんどだと思います。
実際自分の周りでも、友人にこの映画を見に行こうと誘ったら「見たくない」と断られ(なので一人で見に行った)、都内某テーマパークにて自分達がこの作品について話していたところ園内のスタッフが「アニメの実写ってなんか違くないですか」と会話に入ってくるということもありました(なぜそのスタッフがそんなにも話に食いついたのかは不思議でしたが)。
私自身は「(アニメなど)2次元は2次元だから良い、無理に3次元にするな」という意見には反対で「ライトノベル・アニメの面白さは実写等取っつきやすい媒体で、例え一般向けに描写を変更することになってもいろいろな手法で広めるべき」と思っているので、この作品を見てむしろ「ライトノベルの実写化はあり」でもっと作って欲しいと思いました。まぁ少数派だと思いますが。
○劇中にて星奈がプレイしているゲーム(ギャルゲー)は、age「マヴラブ」という作品(おそらくPS3版)。